沖縄盲学校同窓会が発行しています「会誌」を掲載しています。
今年度(2025年度版)は、昨年の10月に開催されました「総会・親睦会」の様子が中心です。
合わせて内容を音声で聞ける「音声版」もありますので、お聞きになり会の雰囲気を感じていただければ幸いです。
なお、掲載したイラストは架空のものです。さらに活字(墨字)版については個人情報に配慮しています。
沖盲同窓会 会誌2025年版
【音声版】 (内容をPCトーカーで読み上げています)
発行日 2025年3月31日
発行人 平良恵忠
事務局所在地 〒901-1111 沖縄県島尻郡南風原町兼城473 (沖縄盲学校高等部専攻科)
Tel 098-889-5375
1. 巻頭言 新会長からのご挨拶
同窓会長 平良恵忠
2025年も早くも3月を迎え、春の訪れを感じる季節となりました。会員の皆様には、お変わりなくお過ごしのことと拝察いたします。
改めてご挨拶申し上げます。昨年(2024年)10月の総会において前会長の仲川さんから会長職を引き継ぐこととなりました平良恵忠と申します。1995年に専攻科理理療科を卒業後、あはき治療院を開業し、現在は訪問マッサージを中心にお年寄りに寄り添う仕事を続けております。と言いながらも、実は私自身も一昨年早期高齢者に仲間入りをしておりますので、さほど遠くないうちに、皆様に訪問していただき施術してもらう日が来るのかもしれません。
そのような私が、老体にむち打ちながらも、新会長という重責をお引き受けした思いはただ一つ。卒業生の全ての皆様が、沖盲同窓会という母校の絆をよりどころとして、いつでも語り合える場、いつでも楽しめる場を作って行きたいと考えたからです。AIやスマホなど、最新のテクノロジーを活用すれば、今や世界中のどこからでも会員相互の交流がオンラインでできるようになりましたし、歩行ナビを頼りに待ち合わせして買い物や居酒屋へ行けるようにもなりました。これらの技術も活用しながら、会員同士が気軽に集える機会を工夫したいと思いますので皆様からのご指導やご助言をよろしくお願い致します。
さて、昨年10月5日、ホテルロワジールにて開催されました定期総会並びに交流会では多くの会員、賛助会員にご参加をいただきありがとうございました。また沖盲職員をはじめとする多くのボランティアの皆様には会場の準備や誘導、交流会での食事の配膳など支えていただきました。
コロナ禍の影響により、実に4年ぶりの開催となりましたが、皆様の温かいご支援のおかげで、無事に盛会となりましたこと、心より感謝申し上げます。
当日は、総会と交流会が行われ、新役員の承認をはじめ、三線の幕開け、普通科卒業生のカラオケ、パラリンピックゴールボールに参加された安室さんからのメッセージ、そして元校長から創立100周年への協力に対するお礼のお話がありました。また、長年にわたり同窓会活動に多大なご尽力をいただいた仲川前会長への感謝状の贈呈も行われ、感動的なひとときとなりました。
参加者の皆様が久しぶりに顔を合わせ、話に花を咲かせている様子を見て、改めて同窓生同士の絆の強さを感じることができました。これもひとえに、皆様のお力添えの賜物であり、深く感謝申し上げます。今後も、同窓会の活動がより一層充実し、皆様にとって意義深いものとなるよう、努めてまいります。引き続きご支援賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
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2. 新役員紹介
会長:平良 恵忠(タイラ ケイチュウ) 1995年専攻科理療科卒
副会長:中崎 由希乃(ナカザキ ユキノ) 2005年専攻科理療科卒
副会長:宮里 靖(ミヤザト ヤスシ) 2016年専攻科理療科卒
事務局長(学校職員):福里 実(フクザト ミノル) 1994年専攻科理療科卒
会計(学校職員):丸山 勝夫(マルヤマ カツオ) 1995年専攻科理療科卒
事務局員(学校職員):本校卒業生を中心に構成
会計監査:島袋 真治(シマブクロ シンジ) 1987年専攻科理療科卒
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3. 2024 同窓会に参加して
仲村 康貴(ナカムラ ヤスタカ)
10月5日に開催された母校の同窓会に参加しました。ロワジールホテル那覇での総会と交流会には、多くの同窓生が集まり、懐かしい声や温かな触れ合いに心が満たされました。
前半の総会では、母校の近況報告や同窓会活動の成果を共有いただきました。特に、視覚障害を持つ私たちのための支援や、社会で活躍する同窓生のエピソードが紹介され、とても励まされました。母校が現在も多くの生徒たちを支え、夢を実現する場であり続けていることを誇らしく思います。
総会の最後には、仲川前会長への感謝状贈呈が行われました。これまでの同窓会活動への多大な貢献に対する感謝を込めた式典は、多くの同窓生が見守る中で厳かに行われました。感謝状を手にした仲川前会長の笑顔と、お礼の言葉に会場全体が温かな拍手で包まれ、深い感動が広がりました。
交流会は、三線の演奏で幕を開けました。三線の音色と歌声が響く中、自然と温かな雰囲気で会がスタートしました。
交流会では、昔の友人や先輩・後輩・元校長との再会がありました。懐かしい声や話し方で、それぞれの顔が自然と心に浮かび、学生時代を思い出しました。
私は、今回2回目の参加になります。前回の同窓会で、初めてお会いする先輩と話す機会ができ、今では時々お食事にお付き合いする仲になり色々と刺激を受けております。このような出会いや学びが広がる場に感謝しています。中には、初めて参加するという方もいらっしゃいましたが、「温かく迎えられて安心した、こういう場での繋がり大事だよね!」という感想を聞き、改めてこの同窓会が持つ絆の力を感じました。お互いに日々の生活や仕事での体験を共有する中で、自分だけでは気づけない視点やヒントを得ることができ、大変有意義な時間となりました。
交流会のクライマックスで全員が校歌を合唱し、学校生活や仲間との時間を、思い出しました。歌い終えると大きな拍手に包まれ絆が一層深まった瞬間でした。
この素晴らしい場を準備してくださった役員の皆さんに、心から感謝申し上げます。また、在校生や盲学校教職員の皆様のガイドの案内など、細やかな配慮がされていたことも印象に残っています。来年もぜひ参加したいですし、これからもこの絆を大切にしていきたいと感じました。
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4. ボランティアからの感想
去る10月5日、総会後に開催された交流会には65名というたくさんの方にご参加いただき、ホテルのおいしい食事を楽しみながらのすばらしい親睦の場となりました。そしてこの交流会を支えてくれたのが私達が感謝の気持ちを込めて「eye棒」と呼んでいる15名のボランティアの方々です。飲食の配膳やホテル内外での誘導など、私達の交流会にはボランティアの協力が不可欠です。ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。
ここでは、今回ご協力いただいたボランティアのうち、高校生1名と一般社会人1名の方の感想を掲載します。
ボランティアに参加できて良かった!
南風原高校2年 仲村
私の母は同行援護事業所でガイドヘルパーとして働いています。今回の同窓会にその母がボランティアとして参加することとなり、母の勧めもあって私も初めてボランティアとして参加しました。
最初は、ちゃんと視覚障害者の方々の案内ができるかどうかとても不安でしたが、無事に終えることができました。みんな食事や会話を楽しそうにしていました。目が見えなくても白杖を使い階段や道を歩くことができること、点字のプログラムをすらすらと読み上げていたこと、この機会を通して視覚障害の方たちは改めてすごいと感じました。私には到底出来そうもありません。
今回のボランティアでは、場所の名前、右左、料理の説明など、ちゃんと言葉にして説明するということが難しい点でした。視覚障害者にとって私たちの言葉が全てで、間違った情報を伝えるわけにはいきません。また、肩を貸して目的地まで連れていくという、転ばせないように、何かにぶつからないようにする事にも注意しました。
今回のボランティアに参加できて、私はとても良かったと思っています。ボランティアで得たことを、これからの生活で活かせることができればいいなと思います。道端で困っている人がいたら進んで肩を貸してあげて、きちんとした情報を伝えてあげて、視覚障害者の方たちの目になってあげたいと思います。
eye棒に参加して
国吉
今回.御縁があり平良恵忠新会長よりお声掛け頂き、沖盲同窓会にeye棒というボランティアとして参加させて頂きました。自身にとって初めての事で不安等ありましたがどうにかやり遂げることが出来いい経験が出来ました。
私はある飲み屋で平良会長と知り合ってしまい、その豪快な人柄に引き寄せられて、以来ただの飲み友達としてなかよくさせてもらっているしがないサラリーマンです。
普段より身障者の方々と接する機会がなく参加するまでは.どんなものなのか?自身で務まるのか?・・・。色々と考えておりましたが、普段より平良会長やそのお友達と親交がありましたので普段通りで大丈夫だなと言い聞かせ会場に向かいました。
総勢65名と大規模ではありましたが皆さん気さくな方々で各席まで案内しながらお話ししたり逆に自身の緊張をほぐして頂きました。
交流会では各テーブルにeye棒が配置されています。みなさんが全盲という訳ではないのですが、各テーブルのeye棒さんと連携しながら、食事の説明をしたり飲み物を運んだり御手洗いまでの同行などその他諸々とお手伝いをさせていただきました。
初めてではございましたが、右往左往する事もなくどうにか自身の役割を果たせたかなと感じました。今回参加させて頂き自身1番感じた事は、身障者も健常者も皆一緒であり特別にと言う概念がなくなったということです。
最後になりますが今回この様な貴重な体験をさせて頂き、参加させていただけた事に、平良会長はじめ、皆様には心より感謝しております。どうもありがとうございました。
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5. 楽しみな交流会
座波 次明(ザハ ツグアキ)
私は沖縄盲学校が首里にあった時代に臨時任用で7か月、その16年後に南風原で5年、沖縄盲学校に在職しました。
首里時代、学習発表会で中学部は初めてうちなーぐちの芝居『丘の一本松』を取り組んだ際、生徒の熱心さやその行動力に舌を巻いたものです。私は舎監長であり、寄宿舎は盲学校と隣接する沖縄ろう学校とで一つであり、不自由なこともありましたが、いたわりや助け合いも多数ありました。
道を隔てた沖縄ろう学校が、北中城の北城ろう学校の跡地に移転後、沖縄盲学校は南風原の現在地に移転しました。
首里時代の教え子たちの数人は南風原では同僚であり、腰痛や困ったことを相談すると快く引き受けてくれました。本当に感謝のみです。
南風原で1年目の夏休みに、点字講習会で山城初子先生と一緒に世話役になり、先生が正で私は副に。一週間の講習会終了後、講師の先生(小林一弘・都立盲学校校長)夫婦を、世話役二人で南部戦跡を案内しました。そのことがきっかけで、その後、全国盲学校校長会や盲学校社会科研究会が沖縄で開催される時には、南部戦跡を案内するようになりました。
さらにそのつながりもあり、筑波大学付属視覚特別支援学校(盲学校)の高等部2年生の修学旅行団が来沖する際には、毎年戦跡を案内するようになり12年が経過しました(しむくガマ、嘉数高台、南風原文化センター、南風原陸軍病院、前川民間防空壕、韓国の塔、平和の礎、魂魄の塔、ひめゆり学徒散華の地、バクナー中将戦死の地等)。
昨年(2024年)は10月に附属盲学校の修学旅行団23人を案内しました。12月には、8年前附属盲学校の修学旅行で来た女性(現在は京都大大学院生)を、本人の希望もあり、当時修学旅行では行くことのできなかった首里城、愛媛の塔、健児の塔、山毛(さんてぃんもう)等へ案内します。
12年前の戦跡案内から今日まで、附属盲学校の職員とは、青松利明先生を中心に東京や沖縄でビールや泡盛を飲みながら交流を続け、参加者は増えてきています。青松先生は、国内で視覚障害者ボーリング大会を立ち上げた第一人者であり、そのことは2024年11月にNHKテレビで放映されました。
ある年、千葉県から来た友人グループを、南部戦跡へ案内していると、ひめゆり学徒散華の地で、首里時代の元同僚・名城文子先生に遭遇しお互いにびっくり!間髪を入れずに、どうしてこちらへ、とすぐに話しました。その時、先生が学徒隊だったことを初めて知りました。ひめゆり学徒散華の地は、ひめゆり学徒隊の最後の地です。
名城文子先生は、積徳高等女学校(家政女学校)の積徳学徒隊の生存者であり、妹さんはひめゆり学徒隊で、この散華の地で亡くなり、家族で参拝に来たと話され、当時の事を教えて下さいました。以来、荒崎海岸のひめゆり学徒散華の地を案内する時には、沖縄盲学校での元同僚の名城文子先生のことや、妹さんのことを話すように心がけています。
名城文子先生はドキュメンタリー映画「ふじ学徒隊」でも、多数証言していらっしゃいます(名城文子先生は、2024年11月97才で没冥福を祈ります)。
昨年筑波附属盲学校の修学旅行団に、ひめゆり散華の地で名城文子先生のことを話すと、目頭を押さえている生徒もいました。
私は沖縄盲学校に、首里時代と南風原時代の二度在職した御陰で、その後の出会い交流の輪が広がって来ました。
首里時代の教え子や南風原での教え子に会いたい一心で、沖盲同窓会や交流会に出席するように心がけています。
年月が経ち教え子や元同僚は、お互いに白髪が増え、沖盲同窓会・交流会で飲み語りあうと、首里時代の様子や南風原での現役時代のことが走馬灯のように浮かんできます・・・あの当時小さなあの子が、今はふくよかな体・体格になっています。話題が拡がると愉快になり、当時が蘇るのは感慨深いものです。
これからも沖縄盲学校同窓会・交流会が継続し、参加者が増えることを楽しみにしています。
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6. 4DX映画体験記
平良 恵忠
先日同行援護サービスを利用して、浦添市にあるパルコシティー内の映画館、ユナイテッド・シネマで上映中の4DX映画「ビートルジュース」という話題の洋画(吹き替え版)を見てきました。映画の内容についてはネタバレになりますのでここでは省略です。
4DX映画ってなんだ? という方も多いかと思いますので、以下にユナイテッド・シネマのサイトにある説明を少しだけ引用しておきましょう。
—-ここから説明文
4DXデジタルシアターとは、現在、映画業界で最も注目を集める、最新の「体感型(4D)映画上映システム」です。モーションシートが、映画のシーンに完全にマッチした形で、前後&上下左右に動き、その衝撃を再現。さらに、嵐等のシーンでは水が降り、風が吹きつけ、雷鳴に劇場全体がフラッシュする他、映画のシーンを感情的に盛り上げる<香り>や、臨場感を演出する煙りなど、様々なエモーショナルな特殊効果で、「目で観るだけの映画」から「体全体で感じる映画」の鑑賞へと魅力的に転換致します。
通常のシアターでは得ることができない特殊効果によって、映画の持つ臨場感(魅力)を最大限開放することができる、アトラクション・スタイルの映画上映システムです。
—-説明文ここまで
チケットですが、通常の映画鑑賞料金が2000円(身障割で本人とヘルパーが半額)に加えて、4DX料金が1000円(身障割はなし)がかかります。
館内で販売されている飲食物の持ち込みは可能ですが、荷物類は無料のロッカーに預ける必要があります。
館内の座席(モーションシート)の下には駆動装置が設置されているようで、通常の映画館の座席よりは座面が20センチ程度高く、足がぶらぶらしてしまわないようにフットレストが付いています。
このモーションシートはスクリーンの場面に同期して上下・左右・前後・そのまぜこぜといった感じていろいろと動きます。ゆったりとした動きや飛行機の激しい乱気流のような動きまでけっこうなバリエーションです。また、座面と背もたれには振動装置とピコピコと突っつく仕掛けがあって、まるでマッサージチェアに座っているような気分。フットレストやネックレストからは熱風やエアが吹き出し、前のシートの背面からはミストと香りが、上空からは強い風が吹きかかるなど、五感で楽しめる映画を実感できました。
今回の映画は吹き替え版ではありましたが音声ガイドがなかったため、スクリーン上のめまぐるしい展開にはちょっと集中できずに、もっぱらモーションシートの挙動に一喜一憂する2時間となってしまいました!
まあそれでも、映画館ではいつでも居眠りこいてる私が、最後まで寝ることなく(あるいは寝ることができなかったのか?)、ハイボールを片手に映画鑑賞できたのは、やはり4DXのおかげだったのかもしれません。
県内で4DXを上映できる映画館は今のところ、このパルコシティー内のユナイテッド・シネマだけのようです。あらかじめ音声ガイドの有無や上映時間などを確認して、一度体験してみてもおもしろいエンタメだと思います。
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7. 台湾交流レポート
賛助会員 中川 祐一(ナカガワ ユウイチ)
「一枝の夢財団」の藤井先生から台湾との交流のお話をいただいてから2年以上が経つ。たくさんの方々の協力をいただき、ようやく第一歩を踏み出すことができた。台湾では台北市立啓明学校の謝先生には大変お世話になった。また、校長先生をはじめ職員の方々、幼児児童生徒の皆さん、あん摩業界の方々から熱烈な歓迎を受けた。本当にありがたいことだと感謝している。
さて、今回訪問した台北市立啓明学校についてであるが、台北市立啓明学校を日本語にすると台北市立盲学校となるそうだ。つまり、啓明学校とは固有の学校名ではなく、日本語の盲学校にあたる。ちなみに啓聴学校というと日本語の聾学校にあたる。啓明、啓聴と学校に対して前向きな思いが込められていると感じる。
見学させていただいた教育環境設備について紹介する。ロの字型の校舎で中庭があり、明るい。天井が高く反響音も少ない。廊下には生徒たちが描いた絵画が飾られている。どの絵も丁寧に描き込まれている。ちなみに、お土産でいただいたマグカップやマスクには、生徒たちの絵画がプリントされている。その他、お土産として手作り石鹸があり、さまざまな良い香りがする。あん摩の実習室は木製ベッド数台、座位施術用椅子数台、経穴人形、骨格模型等、日本と同様である。臨床室は無いようだった。図書室はデジタル化が進んでおり、点字本の在架は絵本が中心だった。グラウンドにはトラックコースが4レーンあり、内2コースは自転車のマークが付いている。トラックコースの内側にはバスケットコートが常設してある。体育館には、壁一面のボルダリング、柔道場、トレーニングジム、アスレチック(感覚統合訓練室)、STT、ゲームセンターにある機械(モグラ叩き、バスケットボールのシュートゲーム、エアホッケー)もある。また、体育館とは別に、舞台発表用のホールがありシートも常設されている。プールは温水プールで、肢体不自由に対応した油圧式の入水用椅子、プールサイドにはカヌーが積み上げられている。中庭には畑がある。調理実習室は中華料理室とベーカリー室がある。中華料理室はガスコンロ、ベーカリー室は本格的なパン工場で使うようなオーブンがある。音楽室は、レッスン室が数部屋あり、ちょうどバンド練習やプロのオカリナ講師による指導が行われていた。レコーディング室もある。
このように充実した環境からも、前向きなメッセージが力強く伝わってくる。生徒も職員ものびのびと様々なことに取り組む意欲が湧いてきそうだ。
学部については、幼稚部から高等部まである。高等部は、普通科、総合科、音楽科、あん摩科と4つの科がある。特徴的なのは、あん摩科以外のどの科でも、あん摩の資格が取得できるということだ。自分のやりたいことをやりながらあん摩の資格がとれる。あん摩をより深く学びたいのであれば、あん摩科があるという仕組みだ。また、資格試験も年に3回ある。生活を支える上で、あん摩という職業がいかに重んじられているかがわかる。生徒さんたちとあん摩の実技交流をさせていただいた際、私にあん摩をしてくれたのは、普通科の生徒さんだったが、充分、仕事で通用すると思った。
台湾の盲学校が抱える問題点としては、生徒数の減少だそうだ。この点は日本も同じだ。インクルーシブ教育についても共通している。台湾の盲学校は全国に3校であるが、教育相談の専門部署があり巡回にも注力しているようだ。日本も将来的に盲学校が統合される可能性を考えると学ぶことが多い。
台湾の視覚障害者のあん摩業界に関しては、実際に店舗を2箇所紹介してもらい施術を受けたので、その様子を紹介する。
1店目は、台北市の繁華街にあり、周りにもマッサージ店が多数ある。観光客も意識した店構えで、看板やメニューには日本語や英語も記載してあった。大型の店舗で一度に多くの客に対応できる。フットマッサージ用のチェアにはそれぞれ足湯用の水道も引いてある。店の外には宣伝用のモニターがあり、マッサージをしている様子の写真が映っている。視覚障害者が施術をしていることもわかる。
2店目は、駅の地下街にあり、仕事帰りの人たちが多く利用しそうだ。周りにはたくさんのマッサージ店が並ぶ中、繁盛している。従業員数も多い。
また、晴眼者の店でもマッサージを受けてみたが、その店に関しては価格、技術、接客、衛生面でもあまり良いとは言えなかった。
とはいえ、晴眼者との対立関係はあるようだ。ただし、日本のようなリラクゼーション業者との対立関係は無いように思われる。有資格者のあん摩師がしっかりとリラクゼーションを行なっている。
謝先生もおっしゃっていたが、台湾の視覚障害者のあん摩業界は活発のようだ。
以上のように、今回、台湾に行って学ぶことが多かった。かつては、高橋福治先生、木村謹吾先生のように日本から台湾に教えに行っていたが、現在は台湾から日本が教わることが多いように思う。ぜひ、多くの方々に台湾に行って学びを得ていただきたい。そして、台湾の方々にも沖縄に来ていただきたい。しかし、その時、台湾の方々に何を学んでいただけるのか、想像ができない。ただ、案外、自分たちでは気づけないことが、外から来た人にとっては大きな学びになるように思う。ありのままの沖縄を感じていただければと思う。
結びに、多くの方々のご協力に感謝し、今後も末永く交流が続くことを祈る。台北市立啓明学校と沖縄県立沖縄盲学校の益々の発展の願いを込め、十分にてランタンを飛ばした。
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8. 編集後記
前回、同窓会の会誌を発行したのが2018年のことでした。その後、沖盲創立百周年事業の準備やコロナ禍の影響により、同窓会の活動は一時休止を余儀なくされ、会誌の発行も長らく途絶えておりました。しかし、今回、新たな役員体制のもとで、7年ぶりにこうして会誌をお届けできることを大変うれしく思います。
今回の紙面は、役員と事務局が中心となり準備を進めてまいりましたが、今後の発行にあたっては、学校の様子、会員の近況報告、文芸作品など、より多くの皆様の声を反映した内容にしていきたいと考えております。ぜひ、思い出話や日々の出来事、エッセイや詩など、自由な形でご投稿いただければ幸いです。皆様の言葉が、この会誌をさらに温かく、豊かなものにしてくれることを期待しています。
2025年が、皆様にとって健康で実り多い一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。同窓会を通じて、かつての仲間と語り合い、笑い合い、支え合う時間を大切にしながら、これからの未来を共に築いていければと思います。どうぞ、今年も同窓会の活動にご参加いただき、共に楽しいひとときを過ごしましょう。