📖 光を求めつつ – 第1話 後編

一.昭和三六年九月十八日 沖縄盲教育の父との出会い 後編

 図書館へ続く道は、春の陽光にやさしく包まれていた。澄んだ青空のもと、頬をなでる風は心地よく、朝子の髪をふんわりと揺らしていく。
 彼女の足取りは自然と軽くなり、その胸には、先ほど芽生えた新たな情熱が静かに灯っていた。
 知識を求めて進むその背には、迷いを振り払った確かな意志が宿っている。図書館の扉の向こうに広がる本の世界が、今は何よりも心を引きつけていた。
 図書館の扉をくぐると、外の喧騒が嘘のように静寂が広がっている。本をめくる音だけが響き、その静けさが朝子の焦る心を際立たせてくる。
 書架の間を歩きながら、朝子は高橋福治に関する資料を探し求めた。
「何か、手がかりになるものはないのかしら……」。
 そう呟きながら、次々と本を手に取ってはページをめくっていく。けれど、出てくるのは断片的な情報ばかりで、期待はことごとく裏切られた。
「もっと深く、この人を知りたい……」。
 焦燥感に背を押されるように、朝子は書架の奥へ足を進めた。人の訪れが少ないその場所には、古い本が静かに眠っていた。埃の漂う空気と薄暗い光の中、それでも朝子の集中力は途切れることはなかった。
 朝子は一冊一冊に目を通しながら、懸命に探し続けた。その時、ふと目に留まったのは、まるで「取ってください」と語りかけるかのように、二センチほど棚から飛び出している一冊の本がある。背表紙には古びた文字で『沖縄の特殊教育史』と記されていた。
 そのタイトルに、朝子の直感が強く反応する。
 この本が沖縄教育委員会によって発行されたものだと知るや否や、期待に胸を高鳴らせながら慎重にページを開いた。
 朝子の目の前に広がったのは、高橋福治の詳細な業績だった。
 戦前の沖縄で盲教育が存在しないという現実を知り、たった二四歳で沖縄に渡った彼。その地で数々の困難を乗り越え、情熱を注いで視覚障害者のための学校を設立した。その意志は時を越え、現在の沖縄における盲教育の基盤として息づいている。
 一つ一つの記録が、朝子の心を強く揺さぶった。
「見えない明日へ……高橋福治、沖縄を行く」。
 短いながらも力強いその一節には、高橋先生の覚悟と決意が凝縮されており、暗闇を切り開く光のように朝子の前に差し込んできた。眠っていた心の奥底の何かが呼び覚まされていくのを感じていた。
「高橋先生……心からありがとうございます」。
 朝子は本をそっと胸に抱き、静かに目を閉じた。敬意と感謝の思いを込めてつぶやいたその瞬間、高橋福治の情熱が胸の奥深くに静かに灯をともした。
 その光は、朝子の中で確かな熱となり、新たな原動力として燃えはじめていた。
 奥まった席に着いた朝子は、周囲に誰もいないことを確認すると、そっと声を抑えながら高橋福治について記された部分を読み上げてみた。

見えない明日へ・高橋福治、沖縄を行く。

沖縄の光を求めて・高橋福治、盲教育の父。

 宮崎県延岡市で生まれた高橋福治は、四歳の時に不慮の事故で光を失った。しかし、彼の心は暗闇に閉ざされることなく、光を求めて燃え続けた。
 親元を離れ、大分盲学校の寮で生活しながら、小学中学と学び、高校では按摩技術を習得し、卒業後は宮崎県に戻り、あんま師として働いていた。
 それでも、彼の心は満たされることはなかった。
「沖縄にも、私と同じように光を失った人々がいるはずだ。彼らは、どのように生きているのだろうか…」。
 その想いが、日増しに彼の心を焦がしていった。
 沖縄に盲学校はあるのか?いてもたってもいられず、高橋は沖縄県庁に手紙を送った。
 数日後、届いた手紙は、彼の予想を遥かに超えるものだった。
「沖縄には盲学校はありません。按摩の試験も、一度も行われたことがありません」。
 その言葉は、高橋の胸に熱い火を灯した。
「私が、沖縄の光となる」。
 高橋は、迷うことなく沖縄行きを決意した。

 大正九年、二四歳になった高橋は、見知らぬ土地、沖縄へと旅立った。
 頼る人もいない。それでも彼は、一軒一軒、視覚障害者の家を訪ね歩き、教育の重要性を説いて回った。しかし、現実は厳しかった。
「目の見えない子どもを学校に行かせて、何になるのか」。冷たい言葉が、彼の心を凍らせた。
 それでも、高橋は諦めなかった。何度も足を運び、根気強く説得を続けた。
 そして、彼の熱意は固く閉ざされた人々の心を少しずつ溶かしていった。
 親は反対でも、学ぶことを希望する視覚障害者が出てきたのだ。

 大正九年四月、ついに三人の生徒が集まり、那覇公会堂の一角で、点字の授業が始まった。それは、沖縄盲学校の産声であった。
 高橋は、沖縄でも按摩業をしながら学校の運営資金を集め、生徒たちが自立できるよう、点字や按摩の技術を教えた。そして、音楽を通して心の交流を深めた。
 大正十年五月に、那覇市天妃町に私立訓盲院を開設し、大正一三年四月には文部省の認可を受け、私立沖縄盲学校と改称した。生徒数は一五人となった。
 当時、盲学校及び聾唖学校令は、各道府県に盲聾唖学校の設置を義務付けていたが、沖縄には公立校を運営する財政的余裕はなく、私立校に頼るしかなかった。
 それでも高橋は、昭和三年に伊江島で通信指導を始め、昭和八年四月には那覇市松尾の新校舎に移転し、同年八重山分校を設立するなど、教育の普及に尽力した。

 昭和一五年四月に、沖縄県立代用私立盲学校となり、昭和一六年四月に、内務省の指定校として認可を得た。

 昭和一七年に、沖縄盲学校は按摩・マッサージ免許取得指定学校の認可を受け、卒業と同時に免許が取得できるようになった。しかし、無情にも沖縄には戦争の足音が近づいていた。

 昭和一八年四月に、私立訓盲院と私立沖縄聾唖塾が統合され、沖縄県立盲聾唖学校が開校し、校長には高橋が就任した。生徒数は二五人。

 昭和一九年の夏に、高橋を沖縄に残し、家族は船で九州へ避難し、翌年二月に、生徒たちに避難が指示されたため、予定を繰り上げて卒業式を開催した。

 昭和二十年二月に、米軍の侵攻が迫る沖縄から出身地の宮崎へ生徒たちの避難先を九州で確保したい思いで帰国したが、米軍の上陸により、避難はかなわなかった。
 校舎は戦争により焼失し、二月に卒業した五人のうち二人、在学生一七人のうち七人が亡くなった。
 しかし、高橋が灯した光は、決して消えることはなかった。

 昭和二六年、盲聾啞学校の卒業生らの手で学校が再建され、沖縄の障害者教育は再び歩み始めた。

 昭和二七年、高橋はようやく沖縄を訪れることができ、その後は宮崎でマッサージ業をしながら沖縄との交流を続けていた。
 高橋福治。彼の名は、沖縄の盲教育の父として、永遠に語り継がれることになった。

一.沖縄県立盲聾唖学校開講。
 宮崎県出身の高橋福治が大正十年に開設した「私立沖縄訓盲院」と、鹿児島県出身の田代清雄が大正一三年に開設した「私立沖縄聾唖塾」を前身として、昭和一八年に両校を統合・県立移管した上で開校した。
 視覚障害者が通う盲部と聴覚障害者が通う聾唖部からなり、盲部は那覇市松尾、聾唖部は那覇市樋川に校舎を置いていたが、昭和二十年の沖縄戦により校舎は焼失し、それに伴い沖縄県立盲聾唖学校は消滅した。

二.沖縄県における障害者教育のはじまり。
 明治四十年四月五日の『琉球新報』に「聾唖者への教育」と題し、読谷山村渡慶次尋常小学校で「盲唖児童を教育せんとし既に相当の準備を整えて授業を始めた」とする記事が紹介されている。
 これが沖縄県における初の障害者教育の例と考えられ、翌年には沖縄県立師範学校附属小学校でも障害者教育が始められたことが明治四一年五月一日の『琉球新報』で紹介されている。
 しかし、その後の沖縄県内公立学校において障害者教育がどのように展開していったかを伝える資料は確認されておらず、以後の沖縄県内における障害者教育との関係性も明らかではない。

三.沖縄県立盲聾唖学校の設立と消滅。
 私立で運営されていた盲・聾唖学校の県立移管の陳情は長く続けられていたが、昭和18年にようやく実現して「沖縄県立盲聾唖学校」が誕生する。
 校長には高橋が就き、生徒は二五名であった。校舎はそのままであった。
 ところが、昭和一九年には沖縄が臨戦態勢下に入り、学校でも防空壕掘りや避難訓練が行われるようになった。
 初等部の生徒は家に戻り、校舎も海軍が使用した。

 昭和二十年二月一一日、最後となる卒業式を行った後、生徒の安全を案じた高橋は宮崎に渡って疎開の準備を進めるが、疎開は実現しなかった。
 同年四月の米軍上陸で那覇も戦場と化し、校舎は焼失、事実上学校は消滅した。
 戦後の沖縄における障害者教育の復活は、昭和二六年の「沖縄盲聾唖学校」設立まで待つことになる。

 高橋は、沖縄の地で、視覚障害者教育の灯をともし続けた。
 彼の情熱は、多くの人々の心を動かし、沖縄の障害者教育の礎を築いた。しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。
 資金難、理解不足、そして戦争。幾多の困難が、高橋の前に立ちはだかった。それでも彼は、決して諦めなかった。生徒たちへの愛、そして教育への情熱。それが、彼を支え続けた。
 高橋の教え子たちは、卒業後、社会に出て様々な分野で活躍した。按摩師、音楽家、教師…。彼らは、高橋の教えを胸に、自立し、社会に貢献した。
 高橋の功績は、戦後も語り継がれ、沖縄の障害者教育の発展に大きく貢献した。
 彼の名は、沖縄の盲教育の父として、永遠に人々の記憶に残るだろう。          。

 読み終えた後も、朝子はしばらく放心して動けなかった。ページを閉じる手が震え、しばらくの間、ただその余韻に浸るしかなかった。しかし、ふと気持ちを奮い立たせるように、心の中でそっと呟いた。
「高橋先生、私、頑張ります!」。
 彼の歩んだ道を、自分の目で確かめたい……。          。
 その思いが朝子の胸の奥で、静かに、しかし確かに燃え始めていた。

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