五.昭和三七年五月十日 転校生が来た 後編
給食が済むと、生徒たちは待ちかねたように、仲宗根くんの机を囲み始めた。新しいクラスメイトへの興味が、彼らの小さな体を活発に動かしている。
私は、職員室へ戻らず、しばらくその様子を見守ることにした。
「誕生日はいつ?」。
「好きな歌謡曲は?」。
「身長はどのくらい?」。
「兄弟はいるの?」。
「休みの日は何してるの?」。
あちこちから次々と飛んでくる質問の嵐に、仲宗根くんは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、それでも落ち着いた様子で、一つひとつ丁寧に答えていく。その受け答えは素直で誠実で、どこか初々しさもあった。
質問を投げかける生徒たちの目は好奇心に輝き、教室全体がどことなく浮き立った空気に包まれていた。
その光景は、まるで学芸会の主役に選ばれた子どもが、みんなの視線を一身に浴びているかのようだった。仲宗根くんは少し照れたような笑みを浮かべながらも、ひとつひとつの質問に真剣に答えていた。
教室には、笑い声と弾むような話し声が途切れることなく広がっていた。生徒たちは肩を軽くたたき合い、声を上ずらせながら楽しそうに盛り上がっている。その輪の中に、仲宗根くんもすっかり打ち解けていた。
その様子を見つめるうちに、私の胸の内にもじんわりと安堵が広がり、自然と微笑みがこぼれていた。新しい環境に戸惑うことなく、笑顔で馴染んでいく仲宗根くんの姿が、何よりも頼もしく感じられたのだった。
「なあ、コージー、ちょっと立ってみ」。
内間くんがそう促すと、仲宗根くんを立たせて背比べを始めた。
生徒たちは二人の頭を交互に触って、「ヤッシーよりコージーのほうが少し高い」と盛り上がっている。
「髪が長いね!」。
「ちょっと曲がっている!」。
「髪の毛柔らかい!」。
「頭の後ろぺったんこだ!」。
「コージー、やせすぎじゃ無い?」。
生徒たちは頭や肩に触れながら、思ったことを次々に口に出した。仲宗根くんは煩わしそうに頭を振り、触れてくる手を払いのけていた。
「尻上がり、できる?」。
「コージー、巨人の選手、一番から九番まで全部言える?」。
「ええ?そんなん、分からんけど。ウンチューは全部わかるわけ?」。
仲宗根くんがにやりと笑いながら上地くんに聞くと、上地くんは胸を張って言った。
「一番センター柴田、二番ライト中谷、三番ファースト王、四番サード長島……」。
声に勢いがこもり、まるで実況アナウンサーのような調子で、上地くんは続けた。
「五番レフト末次、六番ショート広岡、七番キャッチャー森、八番セカンド土井、九番ピッチャー金田!」。
スラスラと迷いなく言い切ると、教室のあちこちから「おおーっ!」と感嘆の声が上がった。
「すげー、マジで覚えてんの?」。
「でもよ、九番は金田じゃなくて、城之内じゃね?」。
「いや、伊藤芳明がいいよ」。
「何言ってる、高橋明に決まってるだろう!」。
野球好きの男の子たちは一気に盛り上がり、それぞれの「推しピッチャー」を主張し合って、教室がまるで後楽園球場のスタンドのような熱気に包まれた。
そんな中、ひときわ落ち着いた声が響いた。
「ねえ、コージー、寄宿舎って何室?」。
それは、ゆかりさんの声だった。騒がしさに押されながらも、どこか遠慮がちに、それでも気になることをしっかりと尋ねる。
すると、誰よりも早く知念くんが応えた。
「コージーはワンと同じ、十七室さ」。
話題は次から次へと飛び交い、男の子たちの野球談義から、寄宿舎の部屋割り、好きな歌謡曲やラジオ番組のことまで、にぎやかなおしゃべりは尽きることがなかった。
その賑わいは、午後の授業が始まるまで続いた。
澄子さんの授業開始を知らせる鐘が鳴ると、みんなはそれぞれの席に着いていった。
私も、授業開始の鐘にびっくりし、急いで職員室に戻り、授業の準備をしてから、三年一組の教室へ小走りで戻って行った。
教室に戻ると、生徒たちはすでに教科書を開き、それぞれ授業の準備を進めていた。その静かな空気に、私はほっと胸をなでおろし、教卓の前に立った。
そして授業に入る前に、私は仲宗根くんに声をかけた。
「仲宗根くん、授業が終わったら、少しだけ点字の勉強をします。残ってくださいね」。
その言葉に、仲宗根くんは少し緊張した面持ちで小さく頷いた。目の奥には、かすかな不安と、それを振り払おうとする真剣な光が揺れている。
「それと、上地くんも。仲宗根くんの点字の勉強を手伝ってもらいたいんだけど、今日、放課後少し残ってくれる?」。
「いいよ。僕、特にやることもないし。コージーの点字の勉強につきあうよ」。
「ありがとう、上地くん。ほんの少しの時間で終わるから、よろしくね」。
放課後の教室に残った三人。
私は、点字器の使い方や、基本的な操作方法をできるだけ丁寧に言葉を選びながら説明し始めた。
「仲宗根くん、これが点字器。点字を書くときに使う道具ね」。
「……ウンチューやショパンが使ってるの、見たことあるから、わかるよ」。
仲宗根くんはそう言いながら、そっと机の上に置かれた点字器に手を伸ばした。指先が器具の縁に触れると、そのままじっと形を確かめるようになぞっていく。
私はその様子を見守りながら、静かに微笑んだ。
点字っていうのはね、目が見えにくい人や、まったく見えない人が読んだり書いたりするための特別な文字なのよ。目じゃなくて、指で触って読むの」。
「指で……読むの?」。
「ウンチュー、手で触って点字読める?」。
「当たり前だろう。誰でも読めるし」。
上地くんが誇らしげに答えると、私はうなずきながら続けた。
「点字はね、六つの点の組み合わせでね、その組み合わせで『あ』とか『ね』とか、いろんな文字になるのよ」。
「じゃあ、どうやって書くの?」。
仲宗根くんが首をかしげると、私は少し嬉しそうに目を細めて言った。
「上地くん、少し書いてみて」。
上地くんは慣れた手つきで点字器に紙を挟み、「今日からコージーが点字の勉強を始めました」と書いて見せた。それから紙を外し、裏返して指でなぞりながら今書いたばかりの文字を読み始めた。
「コージー、触ってみ」。
仲宗根くんはおそるおそる紙に触れた。指先で点をたどるが、眉をひそめて言った。
「全然何が書いてあるのかわからない……これが、文字なの……?」。
その表情を見て、私は穏やかに笑みを浮かべ、道具をひとつずつ手に取りながら説明を続けた。
「それからね、点字で一番ふしぎなこと。書くときは右から左に書くのよ」。
「えっ?左からじゃないの?」。
「書くときは右から左、読むときは紙を裏返して左から右へ読むの。不思議でしょ」。
「……うん、なんか、おもしろそう」。
仲宗根くんの口元に、小さな笑みが浮かんだ。その一瞬の表情に、私の胸の奥にほのかな温もりが広がった。
その日は、五十音の「あ行」から教えることにした。最初はぎこちなく、「あ」を打ってはしばらく考え、「い」を打っては手を止めてしまう。けれど、その不器用な指先にも、学ぼうとする意志が宿っていた。
「仲宗根くん、明日までに『あ行』をしっかり覚えてきてね」。
私はそう言って、「あいうえお」を五十回練習する宿題を出した。嫌がるかと思ったが、仲宗根くんの目はぱっと輝き、力強く言った。
「石川先生、僕、絶対に覚えます!明日、ちゃんと『あいうえお』書いてきますから!」。
仲宗根くんの瞳が力強く輝いた。その勢いに笑みを浮かべながら、上地くんがすかさず言った。
「石川先生、心配しないで。僕がコージーをしごいて、一緒に特訓するからさ」。
二人は点字器を大事そうに鞄にしまい、肩を並べて教室を出て行った。
足取りは軽やかで、その背中には、新しいことに出会った喜びと、これから何かをつかみ取ろうとする小さな決意が、静かににじんでいた。
二人を見送り、職員室へ戻ると、校長先生が私を待っていたかのように「石川先生、ちょっと」と手招きしてきた。
「仲宗根くんについて、少しお話ししておきたいことがあります」。
「私も丁度、仲宗根くんのことについて校長先生に伺いたいと思っていました」その旨を伝えると、校長先生は「石川先生、椅子を持ってきてこちらへ座ってください」と言った。
どうやら、お話は少し長くなるらしい。
私は自分の椅子を持って校長先生の近くに座った。
校長先生は姿勢を正し、穏やかな口調で話し始めた。
「仲宗根くんは、小さい頃に音お産とお母さんが離婚して、それ以来、お父さんとおばあちゃんの三人で暮らしています」。
少し間を置いて、先生は続けた。
「お父さんは嘉手納基地の中で消防士として働いておられます。いわゆる基地労働者のひとりです。基地内の防火管理や緊急対応など、重要な業務を担っておられるそうで、毎日とても忙しく、勤務も不規則で、なかなかお休みも取れないようです。ですから昨日は、おばあちゃんが代わりに付き添って、仲宗根くんを学校まで連れてきてくださったんですよ。」。
「石川先生にも声をかけようと思ったのですが、授業中だったこともあり、詳しいことは来週から始まる家庭訪問でいろいろ知ることができるだろうと思い、声をかけませんでした」。
「今はおばあちゃんが仲宗根くんの身の回りのことをしてあげてるようです」。
「そうだったんですね……」。
私は、思わずため息をつきながら頷いた。
「ええ。毎週土曜日にはおばあちゃんが迎えに来て、月曜日の朝に学校へ送ってくれるそうです。おばあちゃんはとても愛情深く、仲宗根くんの成長を支えていらっしゃいます」。
「そうですか、それは良かったです。お母さんがいないのは寂しいかもしれませんが、おばあちゃんがしっかり支えていらっしゃるのは本当に心強いです」。
「おばあちゃんと学校へ来たことに、家族に何か事情があるのではないかと心配していましたが、今しがた校長先生のお話を聞いて安心しました」。
そして、私は微笑みながら、今日の仲宗根くんの様子を伝えた。
「仲宗根くんは今日が初めてなのに、とても落ち着いていて、友達ともすぐに打ち解けていました。寄宿舎でも知念くんと同じ部屋になっていて、二人ともすっかり息が合っているみたいです。今朝も楽しそうに笑い合いながら登校してきましたよ」。
「そうでしたか。それなら安心ですね。石川先生、仲宗根くんのこと、見守ってあげて下さいね」。
校長先生の温かな言葉に、私は自然と深く頷いていた。
翌朝、仲宗根くんは、どこか誇らしげな表情を浮かべながら、宿題の点字が打たれた紙を私の前に差し出した。
紙の上には、小さな突起が整然と並び、あ行の文字がきちんと打ち込まれている。よく見ると二か所ほど間違いはあったが、それでも全体としては丁寧で美しい出来栄えだった。
「すごいわね、仲宗根くん。本当に一生懸命取り組んだのが伝わってくるわ」。
そう声をかけると、仲宗根くんは少し照れたように笑みを浮かべた。だがそのすぐあと、ほんの少し残念そうな声でぽつりとつぶやいた。
「でも、目で見ないと書けないんだ。ウンチューみたいに、見ないでさっと書けるようになりたいけど、まだまだだよ」。
そう呟くと、仲宗根くんは少し肩を落としながら俯いた。
その様子に私は彼の気持ちを察し、そっと優しく語りかけた。
「大丈夫よ、仲宗根くん。練習していけば、きっと見なくても書けるようになるから。焦らずゆっくりやっていきましょうね」。
そう言いながら、私は仲宗根くんの背中を優しく撫でて励ました。
「今日は、か行を五十回書く練習をしてみましょう」。
私が提案すると、仲宗根くんは一瞬不安そうな表情を浮かべたが、すぐに頷いて点字器を手に取った。
おそらく仲宗根くんは、上地くんのことを意識しているのだろう。上地くんは見えなくても点字を素早く書ける。その姿に憧れ、自分もそうなりたいと願っているのかもしれない。
翌日、そしてその翌々日、仲宗根くんは「さ行」までをほとんど間違いなく、整然とした美しい点字で書けるようになっていた。その上達ぶりに、私は目を見張った。
「すごいね、仲宗根くん。本当に上手になったわね」。
私が笑顔で褒めると、仲宗根くんは少し照れくさそうに笑みを浮かべ、驚くべきことを話し始めた。
「押し入れにこもって、真っ暗な中で点字を書いたり、指で読む練習をしているんだ」。
その言葉に、私は思わず息を呑んだ。暗闇の中で点字を書くなんて、想像もしていなかった。
「仲宗根くん、無理はしないでね。目に負担がかかるかもしれないから」。
しかし、仲宗根くんは気にする様子もなく、淡々と話を続けた。
「同じ部屋の中学生に教えてもらったんだ。暗いところで練習しないと、いつまでも目で見てしまうから、上手になれないって。それに、手で読む練習をするためにも、暗いところで点字を書いて、読む練習をしないといけないって」。
その話を聞いて、私は校長先生に点字を覚えるよう言われた日のことを思い出した。
しかし、暗闇で点字を書くという発想はなかった。なのに仲宗根くんは、自らそれを実践してみせたのだ。
上級生の言葉を信じて、暗闇の中で練習するなんて……。私は、仲宗根くんの点字上達に向けた強い意志に、ただただ驚かされた。
二週間という月日が静かに流れるうちに、仲宗根くんは五十音はもちろん、濁音や数字までもしっかりと覚え、まだゆっくりではあるものの、点字の教科書を右手の人差し指でたどって読めるようになっていた。その吸収の早さは、まるで乾いたタオルが水をぐんぐん吸い込むかのようで、目を見張るほどだった。
「すごいわね、仲宗根くん。本当に指で読めるようになったのね」。
私が感嘆の声をあげると、仲宗根くんはちょっと照れたように笑いながら、静かに言った。
「でも、まだ左手では読めないんだ」。
仲宗根くんは、少しだけ残念そうな表情を浮かべた。
「ショパンが言ってたんだけど、行の最初から真ん中までは左手で読んで、途中からは右手で読んで、その間に左手は次の行に移っているから、なめらかにすらすら読めるんだって」。
その言葉に、私は思わず目を見開いた。点字の読み方に、そんな高度な技術があるとは、初めて知った。
「そんな風に読んでいるのか…」。
私は、授業中みんながどのように点字の教科書を読んでいるのか、注意深く観察してみることにした。すると、確かに生徒たちは、左手で読み始め、途中から右手に切り替え、その間に左手を次の行へと移動させている。
特に、ゆかりさんは指の動きがスムーズで、素早く、まるで流れるような指使いで、すらすらと点字を読んでいた。
上地くんは、左手で本を読みながら右手では点字を書いている。
その様子は、まるで熟練の職人が、繊細な手仕事をしているかのようだった。
私は、生徒たちが指先で点字をたどる姿を見つめながら、改めてその技術の深さに心を打たれた。目で見ることができない世界の中で、生徒たちは、指先という小さな感覚器だけを頼りに、文字を読み、言葉を知り、世界を広げていく。
それは、単なる読み書きの技術ではなかった。見えない暗闇のなかに光を見出そうとする、人間の底力そのものだった。
私も、この子たちの世界をもっと知らなくては。
点字のことを、もっと深く学びたい。彼らがどんな思いで文字に触れ、どんな風に知識を手にしているのか、その一つひとつを理解できる教師でありたい。
私は、そう心に誓った。生徒たちの真剣なまなざしと、その指先に宿る意志を、静かに、けれどしっかりと見つめながら。
あとがき。 。
本作には、沖縄に実在する盲学校や福祉施設、また、高橋福治氏をはじめとする実在の人物や出来事を一部取り上げています。
特に高橋氏に関する描写は、当時の記録や証言をもとに、できる限り史実に即して描きました。
一方で、物語に登場するその他の人物や会話は、筆者の創作および脚色によるものです。
本作は、史実を忠実に再現することを目的としたものではなく、フィクションとして構成された小説であることをご理解いただければ幸いです。
実在の人物や団体に対しては、深い敬意をもって描かせていただきました。



