光を求めつつ (1)
作者: 宮嶋 裕司(みやじま ゆうじ)

プロローグ
大正九年、那覇の港に一人の若者が降り立った。
名は高橋福治、二十四歳。
白杖をしっかりと握りしめ、風呂敷包みを背負ったその姿は、南国の強い陽射しのなかで、ひときわ小さくも確かな意思をまとっていた。
肌を刺すような日差し、遠くで聞こえる三線の音、耳慣れない沖縄方言……。
そのすべてに戸惑いながらも、彼は静かに沖縄の地に足を踏み入れた。
「宿はお決まりですか?」。
「目が悪いようだし、どうでしょうか?安くしておきますよ!」。
右からも左からも、甲高い声で客引きが声をかけてくる。
高橋は杖の感触に集中しながら歩を進め、やがて一人の幼い男の子に宿を紹介されると、そこに泊まることに決めた。
その晩、宿で出された夕食は琉球料理だった。香ばしい匂いは鼻腔をくすぐるものの、味は彼の舌には馴染まず、箸はほとんど進まなかった。
「慣れない土地だし、仕方がないさ」。
自分にそう言い聞かせながら、眠れぬ夜を過ごした。
だが、高橋には、のんびりと朝を迎える余裕などなかった。夜明けとともに街へ繰り出し、手にした按摩笛を吹きながら仕事を始めた。
澄んだ笛の音が朝の空気を裂くように響き渡る。だが、その音に耳を傾ける者は誰一人としていない。街の人々は、まるで彼の存在がそこになどないかのように視線を逸らし、足早に通り過ぎていく。
高橋は胸の内で静かに嘆息した。しかし、立ち止まることはなかった。
「沖縄に盲学校をつくる。それが、私の使命だ……」。
その想いが、彼の足を前へと押し出した。白杖を頼りに、踏みしめるように一歩一歩、街の中を歩き続けた。
彼はまず那覇市役所の門を叩いた。
「ご面倒を承知でお願いしたいのですが……この町に、目の不自由な方はいらっしゃいませんか」。
窓口の職員は驚きつつも、古びた台帳を繰り、いくつかの名を挙げてくれた。高橋はそれらの名前を、点字でひとつずつ丁寧に記していった。
次に教会を訪ねた。ひんやりとした石の床を一歩一歩踏みしめながら、奥へと進む。どこからか、微かに賛美歌が聞こえてくる。静かに響くその旋律が、高橋の胸に染み入るようだった。
祭壇の前で立ち止まり、司祭に願いを伝える。
「視覚に障害を持つ方々に、学びの場を届けたいのです。この近くに、そうした方はいませんか」。
司祭はしばし黙考し、やがて若者の名を一人、ぽつりと口にした。
道ゆく人々にも声をかけた。
「すみません。目の見えない方をご存知ありませんか。教育を受けたくても受けられない方に、学ぶ機会を届けたいのです」。
ある日、街角で三線を奏でる青年の前に立ち止まった。彼の目は閉じられ、指先だけが音を紡いでいた。
「もし目が不自由なら、点字を学んでみませんか。私がお手伝いできますよ。それから……按摩の技術も、きっとあなたの力になるはずです。どうですか、学んでみませんか?」。
人々は驚き、時には戸惑い、苦笑いすら浮かべた。だが高橋は、気にも留めなかった。彼の言葉は、閉ざされた扉を叩く一歩なのだと信じていた。
按摩の仕事をしながら、一軒一軒、視覚障害者の家庭を訪ねては、教育の意義を根気強く伝え続けた。
けれど返ってくるのは、冷ややかな声ばかりだった。
「目の見えない子を学校に通わせても、意味がないさ」。
「字を教えて何になる?どうせ働けるようにはならない」。
「勉強なんかより、家の手伝いをさせる方がマシだよ」。
「先生もご苦労なこったね。そんな子らに教えるなんて」。
中には、戸口に立つ高橋を見るなり、あからさまに顔をしかめる者もいた。
「うちは関係ねえらん。あれーふかねーんじゃさん」。
まるで、障害を家の恥とでも言わんばかりに、ひそひそと声を潜め、奥から子どもの姿を隠そうとする親もいた。
それでも、高橋の炎は消えなかった。情熱と信念だけを胸に、何度でも、何度でも足を運んだ。
ある日、ある家の縁側に腰かけていたオバーが、ぽつりとこう言った。
「あんたみたいな若い者が、盲人のために学校を作るなんて偉いねえ」。
そして、手のひらに黒砂糖をそっと乗せてくれた。
その一言が、高橋の心をどれほど温めたことだろう。
少しずつ、風向きが変わり始めた。
「学びたい」。
「点字を覚えたい」。
そんな声が、闇の中から静かに立ち上がった。
やがて三人の生徒が集まり、那覇公会堂の片隅で、初めての点字の授業が始まった。
生徒たちは、指先で点字の小さな凸を確かめながら、その手に、初めて「知る」という感触を掴んだ。
「これが、「あ」「か!」。
小さな声が弾けたとき、高橋の胸は深く震えた。
夜は按摩師として生計を立て、昼は教師として教壇に立つ日々。
過酷な日常にあっても、高橋は一度たりとも弱音を吐かなかった。
「彼らに、学ぶ権利を与えたい」。
「生きる力を、この手で渡したい」。
その切なる祈りは、やがてひとすじの光となって、静かに、確かに、沖縄の空の下に灯っていた。
……未来へと続く道を照らすように。