📖 光を求めつつ – 第2話 前編

二.昭和三七年三月二五日 点字、未知なる世界への扉 前編

 学びの証を胸に、私は新たな一歩を踏み出した。その決断は、私の人生においてまさに大きな転機となった。
 四月から私は沖縄盲学校で教諭としての新しい役割を担うことになり、その責任の重さと新たな出会いへの期待に胸を膨らませていた。これまで積み重ねてきた努力が自信となり、新しい環境への挑戦に向けての意欲をいっそう高めてくれていた。
 教諭としての使命を果たすだけでなく、生徒一人ひとりの可能性を引き出し、それぞれが輝ける場をつくることに全力を尽くそうと心に決めていた。その決意は、自分のなかにある強い意志の表れであり、これからの経験は私にとって貴重な学びとなり、きっと自らを成長させてくれるに違いない。
 春の柔らかな光がバスの窓越しに差し込み、私は静かに座席に身を預けていた。胸の奥には、新たな一歩への期待とともに、不安という小さな影が、胸の奥でそっと揺れていた。
 赴任先は沖縄盲学校。これまでに訪れたことも、身近に感じたこともない世界。
「どんな学校なんだろう……」。
 思わず漏れた言葉は、自分自身への問いかけのようでもあり、未来への小さな祈りのようでもあった。
 目的の停留所に着くと、私はバスを降り、静かな住宅街へと足を踏み入れた。

 狭い路地を十数分歩きながら、心の中で思い描いていたのは、近代的な設備が整った校舎の姿だった。しかし、目の前に現れたのは、その予想とは裏腹に、どこか素朴で小さな学校だった。
「……ここが、盲学校なの?」。
 ぽつりと漏れた言葉は驚きと戸惑いに満ちていた。
 私の故郷、宜野座村の小学校よりもさらに小さな校舎が、春の陽ざしの中でひっそりと佇んでいた。
 校門をくぐると、左手に二階建ての校舎が一棟建っている。見渡しても、他には何もない。運動場もなく、ただ一面に草に覆われた空き地が広がっているだけ。その向こうには、緑深い丘がまるで学校を包み込むように迫っていた。
 その光景を前に、私は立ち止まったまま動けなかった。目の前に広がる風景が現実だとは、なかなか受け入れがたかった。
「こんなに小さな場所で……生徒たちは、どんなふうに学んでいるんだろう……」。
 ふと胸をよぎるのは、不安と疑問。ここで私に何ができるのだろうか。生徒たちはどんな目で私を見るのだろうか。新たな出会いへの淡い希望と、未知の世界に飛び込むことへの戸惑いが、心の中で複雑に絡まり合っていた。
「本当にここで……生徒たちが、学んでいるの?」。
 再びつぶやいたその声は、春の風にさらわれるように空へ溶けていった。
 小さな校舎と広がる草むら、そしてその先の緑の丘を見つめながら、私は静かに深呼吸をした。今はまだ何もわからない。けれど、ここから何かが始まる。そんな気配だけが、胸の奥で微かに芽吹いていた。
 その時、どこからともなく一人の男性が現れ、私に声をかけてきた。手には使い込まれた竹箒を持っている。
 背はそれほど高くはなく、がっしりとした体つき。丸みを帯びたお腹がシャツ越しに少し突き出している。紺色の開襟シャツに綿のズボンという飾り気のない服装ながら、その佇まいには不思議と落ち着きと親しみがあった。
 髪は薄くなりかけていて、頭頂部はうっすらと光を反射している。顔は日焼けして浅黒く、額にはじんわりと汗がにじんでいる。年の頃は五十代半ばといったところだろうか。優しげな目元が印象的で、声をかける口調にも、どこか包み込むような柔らかさがある。
「どうかなさいましたか?」。
 突然背後から声をかけられ、私は思わず肩を震わせた。胸の奥に走る驚きと戸惑いが入り混じり、言葉がすぐには出てこなかった。
「あ、あの……ごめんなさい、勝手に入ってしまって……」。
 もじもじと口ごもる私に、男性は柔らかな微笑みを向けた。
「いえいえ、お気になさらず。ここは誰にでも開かれた場所です。よろしければ、少し見学していかれませんか?」。
「私は、この学校の校長の大城と申します。あなたは?」。
「あっ……はい。私は、今度この盲学校に赴任することになった石川朝子と申します。どうぞよろしくお願いいたします」。
 ぺこりと頭を下げると、大城校長は微笑みを深めた。
「ああ、あなたが石川先生ですか。お話は聞いておりますよ。どうぞ、ご案内しましょう」。
「ありがとうございます。まだ右も左もわからない状態で……ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞご指導よろしくお願いいたします」。
「迷惑だなんてとんでもない。こちらこそ、石川先生のような方に来ていただけて心強い限りです。どうぞ、肩の力を抜いて、少しずつこの学校の空気に慣れていってください」。
 その言葉に、私は胸の奥に灯るような温かさを覚えた。少しずつでも、この場所で役に立てるように頑張っていきたい……そんな気持ちが、静かに芽生えていく。
「春休み中なので、生徒も職員もいません。どうぞゆっくりご覧になってください」。
「ありがとうございます」。
 私は微笑みながら丁寧に頭を下げた。校舎の静けさと、春の陽ざしに包まれた空気のなかで、まだ見ぬ日常に少しずつ心がなじんでいくのを感じていた。

 そのとき、不意に背後から陽気な声が聞こえてきた。
「校長先生、お休みなのにお仕事ですか?いつもご苦労様です」。
 振り返ると、小さな紙袋を手にした六十代くらいの女性が、にこにこと微笑みながらこちらへ歩いてきていた。
 丸い顔に、穏やかな表情。白髪まじりの髪は、三角巾のような布で覆われている。ぱりっと糊のきいた真っ白な割烹着を身にまとい、まるで今しがた台所から出てきたばかりのようだった。
「ジューシーおにぎりを作りましたので、お昼にでもどうぞ」。
「それはどうもありがとうございます。後でありがたく頂きますよ」。
「玉城さん、ご紹介しておきます。この方は四月から沖縄盲学校で働くことになった石川……えっと、先生、お名前なんでしたっけ?」。
「あ、石川朝子です」。
「そうそう、石川朝子先生です」。
「あらまあ、それはようこそいらっしゃいました。あたしはね、ほら、あそこに見える「玉城商店」って看板、見えます?あそこで小さな雑貨屋をやってるんですよ。先生方も生徒さんたちも、ちょくちょく買いに来てくださいます。お菓子もジュースもいろいろそろえてますから、いつでも気軽に立ち寄ってくださいね」。
 彼女の声は明るく、どこか懐かしさを感じさせるような温かさがあった。私は自然と笑みを浮かべ、深くうなずいた。
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」。
「まあまあ、そんなに気張らんでいいさ。みんな親切だから、心配いらんよ。」あんたみたいな若い先生が来てくれると、子どもたちも喜ぶはずね」。
「じゃあ、頑張ってね」と言って、玉城さんはにこやかに手を振りながら、自分の店へと戻っていった。

「では石川先生、案内しましょう」。
「とはいえ、ご覧の通り二階建ての校舎が一棟あるだけですから、五分もあれば全て案内できます」。
「そうですか、それでもどんな雰囲気かを知ることができると思いますので、よろしくお願いいたします」。
 私は少し緊張しながらも、校長先生のゆったりとした足取りに合わせて、その後を静かに歩いていった。
「ところで校長先生、どうして竹箒をお持ちなんですか?」。
「はは、私なんて「校長」とは名ばかりで、庭掃除から草取りまで、何でもこなす「何でも屋」みたいなものですよ」。
 校長先生は照れくさそうに笑いながら、手に持った竹箒を軽く掲げて笑った。
「まあ……それは本当にご苦労様です」。
 私は思わず微笑みながら頭を下げた。
「この学校ができたのは一年前です。それ以前は、別の場所で盲聾学校として、視覚障害者と聴覚障害者が同じ敷地内で共に学んでいたのですが、昭和三六年に分離して、この敷地に沖縄盲学校として独立しました」。
「そうですか、まだ本当に新しい学校なのですね」。
「ええ、そうなんです。生徒は――正確な数は忘れてしまいましたが、およそ七十名ほど在籍しています。職員は十六名で、四月から石川先生が加わって十七名になる予定です。」。
「そうなのですね。これから皆さんと一緒に学びながら成長していけるよう、頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします」。

「今、ふと思い出しましたが……実はね石川先生、昭和三十年に、あのヘレン・ケラー女史が沖縄にいらしたことがありましてね。この学校にも立ち寄ってくださったんですよ。当時の正式な名称は、琉球政府立沖縄盲聾学校でした」。
「そのとき、女史からは『胸を張りなさい。自信を持ちなさい』という励ましの言葉をいただいたんです」。
 私は首をかしげた。
「ヘレン・ケラーって、どなたですか?」。
 校長先生は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「そうですか、知らなくても無理はありませんね。沖縄ではまだ、あまり広く知られていないのかもしれません」。
 そして、言葉を選びながら続けた。
「ヘレン・ケラーは、アメリカの女性です。生まれて間もなく、病気で目も耳も失いました。視覚と聴覚の両方が閉ざされた中で、サリヴァン先生という素晴らしい教師に出会い、言葉を覚え、学び、やがて大学まで卒業したのです」。
 私は驚きのあまり、思わず声を上げてしまった。
「目も見えず、耳も聞こえず、それでも大学まで卒業されたんですか……?」。
「はい。世界中に勇気を与えた方です。社会運動にも尽力され、障害を持つ人々の権利のために力を尽くされました」。
校長先生は遠くを見つめるように目を細めた。
「そのヘレン・ケラー女史が、戦後の沖縄に来て、私たちを励ましてくださったのです」。
「ーー胸を張りなさい。自信を持ちなさい、と」。
「今、アメリカで『奇跡の人』というタイトルで、ヘレン・ケラー女史を描いた映画が制作中だそうです。今年の七月に公開予定で、来年には日本でも公開されるかもしれないという話を聞きました」。
「そうなんですか。それは楽しみですね。沖縄でも上映されるなら、ぜひ見てみたいものです」。
「ところで校長先生、ヘレン・ケラーについて書かれた日本語の書籍はありますか?」。
 校長先生は少し首をかしげながら言った。
「うーん、詳しくは分かりませんが、日本語の書籍については聞いたことがありませんね」。
「そうですか…」。
 校長先生の話を聞いて、私は初めて「ヘレン・ケラー」という存在を意識した。その名前は、まるで新しい扉の鍵のように、私の中に静かに刻まれていった。
「ところで、ヘレン・ケラー女史が沖縄に来られた昭和三十年の頃は、石川先生はおいくつくらいでしたか?」。
「あ、あ、ごめんなさい。失礼なことを聞いてしまいましたね。どうか、忘れてください」。
「校長先生、ぜんぜん大丈夫ですよ」。
「昭和三十年となると、私はまだ高校一年生でした。宜野座村の小さな田舎で、無邪気に海岸でアーサを採ったり、貝殻を集めて遊んでいた頃かもしれません。あの頃の私は、世界が広がっていくのをただ楽しんでいるだけの子どもでした。

 校長先生は、会話を避けるかのように、建物の右端にある階段の下に向かって歩き出した。そこは倉庫になっているようで、手にしていた竹箒をそこに片付けると、早速案内を始めた。
 建物の右端には職員室があり、その入り口近くには小さな釣り鐘が下がっている。気になって「校長先生、この釣り鐘は何ですか?」と尋ねると、校長先生はにこやかに答えた。
「この釣り鐘は、授業の始まりや終わり、または何かお知らせごとがある時に鳴らして合図をするためのものです」。
 時代がかった設備に驚きつつも、それを口には出さず、納得したように校長先生の案内について行った。
 一回は左から一年生、二年生、三年生と小学生のクラスが並んでいて、右端に職員室がある。二回には中学生と高校生の教室が割り当てられている。
 建物の右手にある階段を上って二階へ向かう途中、便所のほうから漂ってくる独特の匂いが、風に乗って鼻先をかすめた。思わず顔をしかめたものの、それもまた、この土地の暮らしの一部なのだと、どこかで受け入れようとする気持ちが芽生えていた。
 二階の廊下に出ると、眼下にはのどかな風景が広がっていた。右手には、ぽつりぽつりと住宅が点在しているほかは、一面に草むらとサトウキビ畑が広がっており、その向こうには小さな丘が横たわっていた。まさに、典型的な田舎の風景である。

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